日本の医学社

『訓注 尾台榕堂全集』全四巻

著者:横田観風
出版社:日本の医学社
発行日:2010年4月発行
型:A5版各巻函入り、624〜830頁

定価:60,000円(税別、送料無料)※分売不可
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 解説
 江戸期末を代表する古方漢方の大家であり、現代日本漢方の礎を築いた尾台榕堂の著書を網羅し、和訓と語注を加えた漢方界待望の初の全集がついに発刊!

第一巻〔薬方関連〕 類聚方広義 重校薬徴 信古堂丸散方 学思斎日用丸散方
              (附録)諸家丸散方-東洞先生禁方- (830頁)

第二巻〔医論関連〕 橘黄医談 療難百則 療難指示 医余 東洞先生答問書 (624頁)

第三巻〔臨床関連〕 井観医言 方伎雑誌 霍乱治略 弁妄書 (676頁)

第四巻〔文芸関連〕 学思斎存稿 敲雲詩集 閑窓筆録 (774頁)

●附録資料として、巻頭資料カラー頁、藤平健著「儒医両道の仁医 尾台榕堂」、「薬味・病名・書名・人名」の語注一覧等を所収。

●和訓に助詞を加え、薬方や人名には傍線を付し、主語を適宜補う等、現代の読者に理解しやすいように配慮。

●主著『類聚方広義』は榕堂の記した注釈部分を和訓にし、吉益東洞の原著『類聚方』部分は漢文のままながら各条文の出典および榕堂の注釈箇所との対応を明記。

●これまで難解なため解読されなかった医書ばかりではなく、榕堂の人となり・交際関係を知る上で欠かすことのできない文芸関係等の著書も収録(漢詩は、原典の格調を保つべく漢文のままとした)。

【北里大学東洋医学研究所医史学研究部部長 小曽戸洋先生「序」より】

 屈指の漢方名医・尾台榕堂は、寛政11年(1799)越後魚沼郡中条村の医家小杉家に生まれ、江戸で師家尾台姓を襲って当時浅田宗伯と医名を二分し、明治3年(1870)11月29日、巣鴨の地で72歳の生涯を閉じた。今年平成22年で没後140年を迎える。その著書『類聚方広義』『方伎雑誌』などが日本漢方の礎の一つを成していることは、真の漢方家なら周知のはずである。(中略)
 没後140年にあたり、尾台榕堂の著述が揃って活字化され、しかも綿密な校注が加えられて上梓されるに至ったことは、日本漢方界にとってまことに時宜を得た一大慶事というべきであろう。本書の執筆にあたられた横田先生の深遠な学識、そして編纂に従事された大浦、朽名の両先生の努力に満腔の敬意を表する。


【日本東洋医学会・会長 寺澤捷年先生 書評
 横田観風『訓注・尾台榕堂全集』の刊行を祝す(一部抜粋)】

 先年、拙著『完訳・方伎雑誌』発刊の折に、本書に序文を寄せられている北里大学・東洋医学総合研究所・医史学研究部長の小曽戸洋先生から非常に興味深いお話を伺った。 それは「漢文学者は漢文の古医書の領域に入り込まない」と言うことであった。理由は単純で、漢学者は医学専門用語の注釈など恐ろしくて手が付けられないということである。 それならば誰が医学古典の訓注や現代語訳を試みれば良いのか。それは漢方を愛し、古典の価値を認め、しかも漢文・国文に力のある人物がやり遂げなければならない。横田観風先生はこの要件を満たす希有な人材と言うことである。
 私は漢方を藤平健、小倉重成、伊藤清夫、和田正系の諸先生から伝授されたが、これらの恩師が敬慕してやまなかった「尾台榕堂翁」の徹底的な研究の成果を今、この様にして手にすることが出来る幸せを心の底から感じている。 横田観風先生、そしてそれを支えた大浦慈観、朽名輝臣両先生に満腔の敬意と感謝を捧げ、本書の刊行を祝すと共に、広く同学の士の座右の書物とされることをお勧めする次第である。
(東亜医学協会『漢方の臨床』第57巻10号-2010-掲載)



各著書の概要〜『第一巻』所収・横田観風「序」より

『類聚方広義』
東洞の『類聚方』の内容に、拾遺方を加え『方極』の条文を書き加え、薬味構成を一つ一つ正確に載せ、更に頭注として薬物の量を検討し、臨床に役立つ様に効果ある病名を列記、治療方法を示し、自己の経験に基づく意見を記してある。

『重校薬徴』
東洞の『薬徴』が七回も書き直され、生前には出版されず写本だけが残ったが、いずれも不完全なので、全備の書を目指して榕堂が補正したもの。

『信古堂丸散方』
榕堂の息の武の著。榕堂が使用していたものを受け継ぎ、これれを整理して完成度の高いものにまとめた。

『学思斎日用丸散方』
榕堂の雅号が「学思斎」であるから、日常治療に用いていた丸散方と考えられる。

『諸家丸散方―東洞先生禁方』
東洞が丸散方に供しようとして内外諸家の薬方を収録して一冊としたもの。これを弟子たちが写し取り、代々受け継がれたものと考えられる。参考のために掲載しておいた。

『橘黄医談』
多岐に亘るので、附録にある藤平健の論文から引用する。「内外医家の書籍から、その医論、主張等を紹介し、併せて標語等を加え、又た湯名の由来、主要症状の解説、薬方に対する疑問の解釈等にも及んだものである。」とある。

『療難百則』
秋田出身の川瀬任が、一〇〇の難証について師の榕堂に質問し、それに対して榕堂が日本古方漢方の立場から詳細に答えている。榕堂の治験が一八例あるのも興味深い。

『療難指示』
秋田出身の斉藤直と上毛出身の小林雄が、それぞれ難症痼疾を治療して治らなかったり、死亡した例についての疑問を、師の榕堂に質問し、それに対して榕堂が答えたもの。三七例あるが、そのうち一七例が死亡した治験例であり、貴重な文献である。

『医余』
東洞の『古書医言』の業績を受け継ぎ、中国の古典の中で医学に関連するものを写しとり、それに評語を加え、注釈をつけたもの。本文に引用した文献は五二種であるが、評語や注釈した中には、無数の文献が引用してあり、儒者でもあった榕堂の面目躍如たるものが伺い知れる。

『東洞先生答問書』
東洞が創生した「疾医の道」についての問答が二七条ある。その内容は、『医断』や『医事或問』と全く同じである。

『井観医言』
まず「疾医の道」についてあれこれ詳述し、次に病名を挙げ、それについて解説し、さらに治法を述べ、その上で榕堂の治験例八七例を詳細に記してある。

『方伎雑誌』
附録の藤平健の論文を引用する。「榕堂の全生涯に亘っての医学に関するあらゆる事項、即ち医人としての処生観、幼時の経験、諸種の治験、薬の見分け方、趣味のあり方等々の諸種雑多な事項に亘った榕堂掉尾の一大著述。かな文字で書かれているので軽視され勝ちであるが、榕堂の全著述の中で、本書は、精神面に於ても、また実用の例からいっても、最も偉大な書物である」とある。

『霍乱治略』
江戸時代に大流行した霍乱病について、その治療法を詳述したもの。「疾医の道」の法に完全に従い、さまざまな証について、その薬方と共に懇切丁寧に解説している。

『弁妄書』
東洞の嫡子の南涯の著『輯光傷寒論』が未完であったが、その写本が世に流布した。写本には内容の粗漏、謬妄、過誤が多いのに憂えた藤田大信は『補正輯光傷寒論』を著した。その内容及び発刊に至る師家への無礼等に感じた若き日の榕堂が、これを舌鋒鋭く批判したもの。

『学思斎存稿』
榕堂が書いた序文、跋文、手紙、その他を掲載した一種の文集である。八一条ある。榕堂の文人としての実力・力量が、この本を以て充分に伺い知れる。解読に苦労した文献である。

『敲雲詩集』
榕堂自作の漢詩を集めたものである。一九三首掲載されている。

『閑窓筆録』
漢詩集と呼ぶべきものである。まず作者を紹介し、次に詩を掲載している。医者のみならず、儒者、武士、親類縁者などさまざまな人物がいるが、いずれも深く儒学を身につけ、風流を楽しむ人ばかりである。


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